ある本で。。。
ダブルバインドについて目にした。
ダブルバインドとは、相異なる二つのメッセージを
同時に相手に投げかけることで
たとえば、言葉では「大好き」といいながら
態度(心の中)では「嫌悪」とか「憎しみ」を持っているとすれば
同時に二つの正反対のメッセージを受け取った側が、混乱する。
通常は、言葉と態度(非言語的メッセージ)は一致しているので
混乱せずにそのまま受け入れられるのだけれど
ダブルバインドを受けると、どちらを取っていいのか混乱する。
「OK」と「ダメ」を一緒にもらったら、そうすればいいかわからなくなるようなもので
どちらのメッセージに従っても、もう一つのメッセージに従えない罪悪感を抱かせる。
モラハラでは、よく見られること。。。
で、その本では
ダブルバインドでは、
どちらのメッセージを強く受け入れるのかというと
言葉ではなく態度(非言語)だという。
しかも、言語メッセージが正反対であるために、
非言語メッセージがより協力に印象づけられるのだという。
言葉で「嫌い」といい、態度でも「嫌い」といわれた場合よりも
言葉で「好き」といわれながら、態度で「嫌い」といわれたほうが
より「嫌い」のダメージが大きいのだという。
そういわれれば
確かに非言語的メッセージは、意識化されなくても強力に伝わってくるものであるし
ダブルバインドの時のダメージの大きさも、納得がいく。
態度も「ふり」はちゃんと見抜けるものだし。。。
(無意識レベルで。。。なので、違和感として伝わってくるのだけど)伝わるものを、もう少し注意して感じ取るようにできたら…と思う。
ダブルバインドについて目にした。
ダブルバインドとは、相異なる二つのメッセージを
同時に相手に投げかけることで
たとえば、言葉では「大好き」といいながら
態度(心の中)では「嫌悪」とか「憎しみ」を持っているとすれば
同時に二つの正反対のメッセージを受け取った側が、混乱する。
通常は、言葉と態度(非言語的メッセージ)は一致しているので
混乱せずにそのまま受け入れられるのだけれど
ダブルバインドを受けると、どちらを取っていいのか混乱する。
「OK」と「ダメ」を一緒にもらったら、そうすればいいかわからなくなるようなもので
どちらのメッセージに従っても、もう一つのメッセージに従えない罪悪感を抱かせる。
モラハラでは、よく見られること。。。
で、その本では
ダブルバインドでは、
どちらのメッセージを強く受け入れるのかというと
言葉ではなく態度(非言語)だという。
しかも、言語メッセージが正反対であるために、
非言語メッセージがより協力に印象づけられるのだという。
言葉で「嫌い」といい、態度でも「嫌い」といわれた場合よりも
言葉で「好き」といわれながら、態度で「嫌い」といわれたほうが
より「嫌い」のダメージが大きいのだという。
そういわれれば
確かに非言語的メッセージは、意識化されなくても強力に伝わってくるものであるし
ダブルバインドの時のダメージの大きさも、納得がいく。
態度も「ふり」はちゃんと見抜けるものだし。。。
(無意識レベルで。。。なので、違和感として伝わってくるのだけど)伝わるものを、もう少し注意して感じ取るようにできたら…と思う。
コメント
それはよく感じますよ。
確かにそれってダメージ大きいですよね。
なるほど。
感心してしまった・・・
言葉の占める部分って意外と小さいといいますね。
非言語的コミュニケーションで伝わってしまうというか。。。
ある意味、自分でも意識しないうちに
自分の思いが伝わってるのだと思うと、怖い部分でもあります^^;
面白い文章、なるほどと思いました。
ダブルバインドでは、もっと微妙なものもありますよね。
「もっと自分らしくやりなさい」と上司にいわれて従うと、
「アレ、自分らしくしたいけど、それって上司にいわれたことに従ってるから、自分らしくないんじゃないの?」
と思ったりします。
言葉そのものに、ダブルバイドが潜んでいるときもあると思います。
はかせ
また、人と話す時に同じ発音(近しい物も含める)の単語って、世界共通で似たような意味を持ってたりもするんですよねぇ。
だから私は、いつでも3人の老婆の唱える「こんな良いような悪いような夜は初めてだ」って意味の台詞が大好きです。
でもって、「私は嘘吐きです」みたいなダブルバインド的には「意味」を失ってしまう言い回しも好んでます♪